料理人とは思えない特徴的な外見で、SNSで爆発的な人気を集めているのが「トチョニカペペ」さん。
栃木県足利市の海鮮料理店「マグロ丼加一」の4代目女将として活躍しています。
一見ギャルですが、料理人としてもう一つの顔を持っており、そんな大きなギャップがいま大きな話題となっています。
そこで、この記事では「トチョニカぺぺさんのこれまでの生き方と魅力」に迫りたいと思います。
トチョニカペペは何者?料理屋を継いだ25歳
トチョニカペペさんがどういった方か、またこれまでの活躍に至るまでをご紹介します。
プロフィール
トチョニカペペさんの本名は塚越永湖(つかごしとうこ)さん。
2025年現在25歳の若さで「マグロ丼加一」の4代目女将を務めています。
「トチョニカペペ」という愛称は、「え、トチョニカペペ?」とある時聞き間違えられたことがきっかけに定着したようです。
金髪と黒髪のツートンカラーのヘアスタイル、首や手の甲、指先にまで入れられたタトゥー、そして耳や口に光るピアスとインパクトのある外見も大きな特徴となっています。
海鮮料理店「まぐろ丼加一」での女将としての活躍
「まぐろ丼加一」は約80年前、トチョニカペペさんの曽祖父が創業した老舗です。
元は野菜や魚の販売から始ま理、2000年に飲食店に業態変更しました。海鮮に特化した店として、昼はランチ、夜は通常営業を行っています。
厨房で調理をする様子や個性的なファッションを身にまとった様子をSNSで発信したところ、瞬く間に人気が広がり、現在ではTikTokとInstagramのフォロワーがそれぞれ15万人を超える人気インフルエンサーに成長しました。

一般的な和食料理人のイメージからはかけ離れていますが、包丁を握る姿は真剣そのもの。
女将として活躍するに至るまで
高校卒業を経て、当初は就職や進学を選ばず、実家で働くことも考えずに、スナックやバー、タピオカ店などでアルバイト生活をしていて、どの仕事も面白みを感じられず、結局、実家に戻って加一で働くことになった。ペペさんが21歳のときでした。
実は小さいころからずっと店で過ごし、手伝いもしてきたため、ごく自然な流れでしたが、当初、ペペさんが加一で働くことに、母親は猛反対にあっていました。休みは週1日、GWや夏休みもなし。しかも当時はコロナ禍の真っ只中で、飲食業は大打撃を受け、先も見えない状態だったためです。

悲観的な状況の中でも、働くことを決心したんですね、、!!
2023年、2代目である祖父が心筋梗塞や脳梗塞を相次いで発症し、無事に退院したものの、車いすでの生活を余儀なくされ、包丁を握ることは難しくなり、父親が3代目となり、ペペさんも一緒に調理を担うようになりました。
祖父は職人気質で、人に技術を教えるのも、包丁を握らせるのも嫌がる性格でしたが、ペペさんが料理人として修業を始めるのを見て、とても嬉しそうにしていたそうです。
「私がお刺身を切る練習していたとき、じいはニコニコして見守ってくれていました。言葉は出てこないけど、喜んでくれていたと思います。家族みんなで加一で働いて、みんなから『じい、じい』って話しかけられて、じいは幸せだと思うんですよね」とペペさんは語っています。
ただ、タトゥーだらけのペペさんの風貌は目を引き、ある時ホール業務をしていると、ぶりかまを食べていた老人からは、いきなり罵詈雑言を浴びせられたこともあったようです。
「『てめえ、そんなの見せてんじゃねえよ、この恥が!お前の親の代わりに俺が怒ってんだよ、感謝しろ』って怒鳴られました。そのおじさん、来るたびにチクチク言ってきたんですけど、威勢がいい接客をずっとしていたら、『やるじゃねえか、気に入った。頑張れよ』って(笑)。それからはものすごく愛想よくしてくれます」

見た目をちょっと変えようとするきっかけには十分ですけど、料理人を続ける上で、自身の考えにも大きなこだわりがあるんですね、、!!
このように、ペペさんは自身の考え、経験や家族との絆を大切にしながら、「加一」の4代目女将としての道を歩んでいます。
まとめ
この記事では「トチョニカぺぺさんのこれまでの生き方と魅力」に迫る、と題してお送りしました。
トチョニカペペさんの魅力は、見た目のインパクトだけではなく、確かな調理技術と家族への愛情、そして自分の信念を貫く強さこそが、多くの人々を魅了する理由のようです。
ぜひ一度店舗に訪れてみたいですね!!
最後までお読みいただきありがとうございました。